失敗さえをも歓迎する気持ちでやってみようのお話
僕 "もしもし、明日の20時から3人で予約したいんですが"
居酒屋店員 ”はい、お名前よろしいですか?”
僕 ”スナガです。”
居酒屋店員 ”・・・”
僕 ”(ん?電波悪いのか?)”
居酒屋店員 ”・・・”
僕 ”スナガです。”
居酒屋店員 ”スナガ・・・下の名前は?”
え、下の名前いる?笑
めっちゃ距離詰めてくるやん。
実際ホントに電波が悪かったのか、最後、
僕 ”時間変更があったらお電話します。”
居酒屋店員 ”…こまりました、ご来店お待ちしてます。ガチャ。”
仮に困ったとしても、口にだしちゃダメ。笑
かしこまりましたの”かし”が聞こえなかっただけだよね!?ねぇ!?
そんなこんなで大学時代の同期と食事会をした。それがこの二人。
内面からキレイにをモットーとする高橋章友
フィジカルですべての問題が解決できると豪語するSHIDAPAN
彼らの言葉には、とても説得力がある。
理由は単純で、行動が伴っているから。
そして、彼らの言葉の中で、生涯忘れることはないと思った言葉。
”明日すぐに、思い描いた自分になれると思う?
そうじゃないよ。本来行くべき道はスマートじゃない。”
行動してるやつだからこそ出せる、言葉の重量感とリアリティー。
でも、決して無機質ではなく、厳しさの中に温かさを持った言葉だ。
彼らと話しているとある本とリンクする。
彼らの言葉とこの本から感じたことを綴ってみたいと思う。
✖知識⇨行動 〇行動⇨知識
ドリームキラーと呼ばれる人達がいる。
将来の夢を誰かに話した時に、
それを否定するような言葉を使ってあなたの夢を壊そうとしたり、
その夢を考え直させるようなことを言ってくる人達。
ドリームキラーは、たいてい自分では行動していないが、
理論武装で人の行動をつぶそうとする。
そして、上辺だけの知識や統計、
無根拠な勘でブレーキを踏ませようとしてくる。
しかし、
私はあなたではないし、あなたは私でもない。
過去の人達の統計をいくら取っても、その中に自分はいない。
まったく知識がいらないわけではないが、
今自分にどんな知識が必要かっていうのは、行動したあとに見えてくる。
武井壮氏はこう言っている。
”誰かが言った『それは難しいよ』は一切気にしねぇ。
だってそいつはオレじゃねぇ。
判断基準はいつだってオレができると思うかどうかしかねぇ。”
「自分探し」じゃなくて「自分なくし」
漫画家のみうらじゅん氏は、
「自分には絶対的に向いている何かがある」と信じ込んできたからこそ、
逆に向いていないことに対して諦める作業が自然と身についたそうだ。
仏教用語で『諦める』というのは、
『明らかにする、真相をはっきりする』ということ。
諦めていった先に、「残ったものが、絶対的に自分に向いている何かだろう」と。
バカと付き合うなの中で堀江貴文氏は、こう言っている。
「自分とは何者か」なんてどうでもいい。
理由なんて必要なしに、あなたは事実存在してる。
それとは別に、それでも探さなきゃいけない自分なんて、本当は存在しない自分、
つまり、でっちあげた自分だ。
「ほかの人がやったことのないことをして自分の個性を確立したい」
その発想自体がもう、没個性。
個性とは、あなたがなにかをやりたいと思う気持ちです。
受け身の人生だったら、個性は生まれない。
こういう本や人に接してみて、自分の過去を振り返った時、
自分で決断してこなかった人生だったなと思う。
2歳半から始めたラグビーも、小学校の頃に習ってた習字も、
小学校4年から通わせてもらってた塾も、
父と兄の母校だから入った高校も、バイトも、就職先も。
でも、”理学療法士になる”っていうのだけは、自分で決めた。
理学療法士を軸とした個性を持つ。
だからといって、理学療法士に縛られない。
病院勤務として正真正銘の理学療法士として活動していくのか、
まったく違うものだけど理学療法士としての
イズムやポリシーを持って活動するのか、
はたまたその両方なのか、
それは正直分からないけど、可能性は無限に広がってる。
「こうあるべき」という排他的思考はとっぱらって、自分に正直に。
悪いバカではなく、良いバカになろう。
最後は、僕の心をがっつりわしづかみにした、
元アイドルで現シンガーソングライターの眉村ちあきさんの
即興ソング動画で終わりにします。
まさか、ゴッドタンで感動させられるとは…。
全然関係なくてすみません。笑